パリ 2010.07
みなさまBonjour:) KFC事務局スタッフKです。
KFC2009受賞者の島瀬敬章さんからパリレポートが届いたのでUPします。
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お久しぶりです。
島瀬です。パリです。元気です。最近の近況報告も含め、レポートします。
先週、ファッションウィークがあり、『2011ss homme mihara yasuhiro』のフィッターをさして頂き、運良く、Ann Demeulemester Damir Doma のコレクションを見る事が出来ました。
DIORでは、お払い箱でした。ビックメゾンの厳しさを知る。
生で見る、ランウェイは非常に刺激的でありました。
パリに来ているという実感と、距離の近さを改めて感じました。
学校の方は、基本に戻ってモデリズムをしています。
最初は、もう分かっている事をもう一回?と、疑問を感じていましたが、マヌカンの構造、寸法が全く違う。
この事は、話しには聞いてはいたのですがここまで違うとは。
前身頃の方が寸法が長い。日本では逆。逆という所に驚き有り。
脇線の、形状を見ると。S字のカーブを描いています。これは、コルセットの名残でしょうか。16世紀からつい最近まで、腰を縛りつけられ、強制され、
胃下垂による、下っ腹の膨張。内臓が下に押しやられ、パニエしかり、ニュールックしかり、服によってヒップ、身体のラインを強調してきた西洋の服飾文化によりヒップ自体が役目をなくし、収縮してしまったんだろうとか思いつつトワールをつついていました。
それに比べ、アフリカ系の方のヒップは素晴らしいですね。
天然のパニエを生まれもっています。人体の歴史を肌で感じたように思います。
原型が違うとなると、話しは別。新しい事を発見しながらの授業に様変わりし、有意義に授業を受けています。
語学の方はというと、耳も慣れてきて、意思疎通も僅かながらこなせるようになってきています。仏の方に、道を聞かれるようになりました。仏の友達も何人か出来ました。
語学は、やはり重要ですね。自分の考えを伝える。この作業は服を作るにあたっても重要。感想や意見を聞かれて、言葉が見つからず、『Je ne peux pas expliquer.』では、、、悔しいですからね。パリから帰らなくてもいいやとも、思っているくらいなので時間とモチベーションがあれば何とかなるでしょう。
最近、気になる事。
『洋服』>>>西洋から伝わった衣服。逆は和服。
最近は、『洋』服と言う人がすくなくなりました。
『服』もしくは『ファッション』と呼ばれています。和服は『和』服と未だに呼ばれています。
おそらく、明治維新以前は、逆だったでしょう。
和服を服と呼び、背広やワンピースなどを洋服と呼んでいたでしょう。
現代の生活において、服の『壁』がなくなってきているように思います。
時代、トレンドでしょうか。
全て『ファッション』という便利な言葉で片付けられているような気がします。
私の爺ちゃんはテーラーをしていました。店の名前は『しませ洋服店』
私は、そこに時代性を感じますし、その『洋』服という語に妙に興味を覚えます。
そこには、おそらく『壁』がある。
だから、店の名前をそうつけたに違いないし、そうするのが通常だった。
最近、ユニセックスという言葉が、巷に氾濫していますが。
これも、壁がなくなりつつあるのだと思います。
一戦で活躍しているデザイナー達は、多分。この『壁』男、女、を十分に把握し、理解し、プレゼンしていると思います。服自体の知識もかなり豊富です。そして、その服達は、トレンドとして世に送り出されます。
そこに、私は危機感を覚えます。
昔にはあった様々な『壁』を知らない現代の若者はどうなるのか?
男、女の境目がちぐはぐで、薄い。本当にトレンド、流行だけに流されている個性がありそうで個性がない若者で溢れています。
それが駄目だとか、嫌いだとかそういう事ではなくあくまで、自分の主観、勝手な考え、好みです。
現に、男性は精子が減り、体毛は薄くなり、威厳がなくなり。女性は、ハゲが多くなり、男性的な性格の女性が増えてきた。
社会だけでなく、その上に立つ人間自体もトレンドと一緒に動いています。
多分、その人たちには、仕立ての奇麗なタイユールやドレスなどは、限りなくシンプルに見えるのでしょう。
そのシンプルの中には、様々な要素と歴史、多大なる手仕事、労力が存在している事に気付けないと考えます。
同じ学校でも、ユニセックスをコンセプトとして掲げている人達がたくさんいますが。
果たして、20そこそこしか生きていない私達にそのような難しい要素をおいしく料理できるのか?
今の私には出来ません。
男、女の『壁』という大きな問題がその前に立ちはだかっているからです。
ここをクリアしない限り、それを言葉としては掲げられません。
ユニセックスという言葉は、響きは魅力的ですが、難解な言葉であるのです。
男女を混ぜはするが、『壁』を意識してコレクションする。
『ユニセックス』に焦点をあわせるのではなく、あくまで『男』『女』という真逆の性質を持ったものを意識し、混ぜる。解体し、構築する。そこには、ユニセックスがあるかわからない。
ただ単に、男性にスカートを履かしました!!
女性に奇麗な仕立てのスリーピースのタイユールを着せました!!
なんとなくユニセックス!!
という事はしたくない。
男女の微妙なバランスを研究していきたいと思います。
多分、将来。このじいちゃん、ばあちゃん。『何かわかんないけど、すげえかっこいい、かわいい、お洒落だ』って思わせる老人に電車で出会える機会がなくなるのではないか。と思っています。
服と一緒に背中に荷を背負っている分、見えない重み。感じる雰囲気。染み出る渋み。愛しさを覚えるかわいさ。
その人自身、まとっている服自身に時代錯誤を感じる。
そこには、かならず『壁』が存在する。
この先そういった、服にとって最も重要な要素がなくなるのではないか?
パリより